マヌ・チャオ (Manu Chao) – 「興奮の嵐を連れてきたマヌ・チャオが語る」 – part.2

■「若きミュージシャンよ、根気がかんじん、ネバー・ギブ・アップ!」
インタヴュー 「興奮の嵐を連れてきたマヌ・チャオが語る」 2010.10.19

 前回来日した2002年のフジ・ロックが、偉大なアンクルと呼ぶジョー・ストラマーに会った最後となった。「彼をリスペクトしている。初めて彼に会った時、ボクはすごく緊張していた。ところが、いざ会ったら、フレンドリーで、すぐに打ち解けられた。そういうところが好きだな」。まるで、マヌ本人と同じじゃないか。

Manu Chao La Ventura

 かつてマヌがジョーに対して憧れたように、今では彼自身が多くの若いミュージシャンにフォローされている。そんな若き後輩たちへのメッセージを求めたところ、「最初のうちはコピーをしていてもいいけど、とにかくオリジナリティを目指さなくちゃだめ。ボクが音楽活動を始めたのは18歳、ちゃんと食べられるようになったのは28歳の時だった。その間は、もう働いて、働いて、働いて、働いた。バーでも、ビストロでも、それこそ、どんなところでも演奏した。バイク便のメッセンジャー・ボーイの仕事もしていた。自分の若い頃より、今の方が状況は厳しくなっていて、大変だと思う。でも、スペイン語で『PERSEVERANCIA:根気』、英語で『ネバー・ギブ・アップ』!」。

 子どもの頃、家で流れていたのはキューバのボラ・デ・ニエヴェやフランスのジャック・デュトロンなどのポピュラー音楽。自分で聞き出したのはチャック・ベリーなど。その後、ドクター・フィールグッド、クラッシュ、スティッフ・リトル・フィンガーズ等々の系統。それらとは別にルンバ、スペインのチャンギートス、チーチョス、カマロン等々の系統。「これらの音楽をミックス」。さらに、この音楽を土壌に次々と新たな要素を加えながら、今のマヌ・チャオの音楽は形成されていったのだ。

Manu Chao La Ventura 彼は1つの曲を、さまざまにアレンジして聞かせてくれる。たとえば、「ミスター・ボビー」の場合、CDとライブでのハードなバージョンは、同じ曲かと思うほど異なっている。海賊盤の中には静かにささやくようなアコースティックの弾き語りもある。そして、そのいずれもがいい。「曲をステキな女の子のボディだと考えてごらんよ。服を変えてみたって、いいものはいい。いい曲はどんな服を着ても似合うんだ。そういうものじゃないかな」。

 コンサートでは何度も、何度も、マイクで胸を叩いてアピールする。「ボクのハートビート、鼓動だぜ!」。もどかしげに胸を叩きつつ、彼は精いっぱい思いを伝えてくる。マヌ、オーディエンスは、ちゃんとその思いを受け止めているよ!

■「シンプルな言葉に、深い意味。プレヴェールは先生だ」

 彼の書く詩にインスピレーションを与えている“先生”が、フランスの詩人ジャック・プレヴェール(※1)だという。「映画『天井桟敷の人々』のシナリオを担当している。すばらしいよ」。2004年に出版されたCD付きの本「シベリー・メテ・コンテ(シベリアかく語りき)」(※2)の表紙の裏には、やさしい言葉に人生の真髄を込めたプレヴェールの短い詩が掲載されている。「彼の詩には言葉遊びがいっぱい入っている。もちろん、ボクの詩にもね」。それだけに、他の言葉に訳したりするのは難しくてできないときっぱり。

Manu Chao La Ventura もう一人、彼が若い頃に読破したのがブレーズ・サンドラール(※3)だ。世界を放浪する破天荒な文学者。前述の本に収められた曲「ラ・ヴァルス・ア・サル・タン(ひどい時代のワルツ)」では、彼の小説「ラ・マン・クペ(切られた手)」の一節を引用している。「あぁ、ブレーズ・サンドラール! 読んだよ。彼はマルセイユ、ナポリ、キューバ、シベリア・・・、いろんなところへ旅をしている。彼の作品は、若かったボクを旅へと誘ってくれたものだ」。歌詞に引用した小説は第一次大戦中のストーリー。そのテーマとなっている未来への希望のない閉塞状況を、彼は現代社会と重ね合わせて引用したのだろう。

 では、どんな映画を好んでいるのか問うと、意外な答えが返ってきた。「映画は好きだけど、あまり見に行くことはない。友達や彼女に映画を見に行こうって誘われても『えっ何のために』っていうわけ」。なんで? 「だって、どんな映画より、ボクの人生の方がよっぽどおもしろいもの。見に行ったら行ったで、誘ってくれてありがとうということにはなるけど(笑)」。

Manu Chao La Ventura クストリッツアが作ったマラドーナのドキュメンタリーに出演した。映画出演のオファーは山ほど来ているけれど、「自分のするべきことじゃないから絶対に出ないし、興味もない」と、実にそっけなく言い放った。むしろ、盟友のイラストレーター、前述の本の絵を担当したウォズニアック(※4)と一緒にアニメなどの制作を楽しんでいるようだ。彼らは共同で、アニメ、絵、服など様々なものを制作しており、バルセロナでは展覧会を開催している。マヌの舞台衣装やツアーTシャツに使われている、カラフルでユーモラスな絵、それがウォズニアックの作品だ。「彼は本当に素晴らしいアーティストだ」と、マヌは手放しに絶賛する。「ウォズニアックに会うまで、ボクのアートワークはあくまでコラージュだったけど、今では、彼が絵を描き、一緒に制作するようになった。スタイルがずいぶんと変化したね」。

 まったくの偶然から実現したマヌとの会話。今回のツアーから、最近の関心事までたっぷり語ってくれた。観察していると質問に対して興味を持っているかどうか、よくわかる。つまらない質問には一言。メンバーのことや「教育」、「買うな」に関しては、突っ込みが入れられないほど、とうとうと語ったのが、マヌらしいなぁと感じた。

Manu Chao La Ventura

(※1)Jacques Prévert:1900−1977 フランスの文学者。詩、小説、作詞、脚本など多彩な作品を残している

(※2)文中に何度も出てくる「シベリー・メテ・コンテ」。今では入手困難ですが、マヌは太っ腹! オフィシャルサイトでダウンロードできます。

(※3)Blaise Cendrars :1887-1961スイスの文学者

(※4)Jacek Wozniak :1954年〜ポーランド出身のアーティスト。現在、マヌ関連のオフィシャルなアートワークは、ほぼすべて彼の手による。二人は「Man Woz」というプロジェクトで共同制作をしている。

text : Ikuko Tanimoto
Interview at Nagoya10/7、Asagiri JAM 10/9

Share on Facebook

Information

Photos:
Koichi "hanasan" Hanafusa
hanasan@smashingmag.com
Web Site / Blog / Facebook / twitter
Koichi "hanasan" Hanafusa's Works

Text:
contributor


contributor's Works

Write a comment