中川五郎 in ピース・ミュージック・フェスタ!辺野古2010 @ 辺野古ビーチ 2010.10.30

大きな世界を変えるのは、ひとりの小さな動きから
テキスト・レポート – 中川五郎「大きな世界を変えるのは、ひとりの小さな動きから」 @ ピース・ミュージック・フェスタ!辺野古 2010.10.30

中川五郎
 今年で55歳になった筆者がフォーク・シンガー、中川五郎のライヴを頻繁に見ていたのはまだ高校生の頃だった。とはいっても、彼が歌い出したのは60年代終わりで、一時期編集業をした後に、音楽活動を再開させた頃ではないかと思う。

 おそらく、同世代やもう少し年輩の方だったらその前の彼をご存知だろう。まずは思い浮かぶのが「お〜いで、みなさん、聞いとくれ」と始まる「受験生ブルース」。68年に高石友也の歌で大ヒットを記録しているんだが、実は、その詞を書いたのが高校生の中川五郎だった。

 そのあたりがきっかけで歌い出したらしく、二匹目のドジョウを狙ったかのような「主婦のブルース」もちょっとしたヒットを記録。少しばかり笑いを誘うような歌詞の裏に、政治的な意識を持った彼のセンスが聞き取れる。あの当時、彼が最も影響を受けていたのはアメリカのフォーク。初期のディランやフィル・オックスからその父とも呼ばれたウディ・ガスリーやピート・シーガーなんだろう、彼らと同じように次々と強烈な「プロテスト・ソング」を書いていくのだ。

中川五郎ch そんな彼の初期の音楽が凝縮されているのが、日本で初めてのインディ・レーベル、URC(アンダーグランド・レコード・クラブ)から発表された2枚のアルバムだ。六文銭とのスプリットで69年に発表されたのが、文字通り『六文銭/中川五郎』という作品で、それに続いたのが単独名義のデビュー・アルバム『終り はじまる』。ピート・シーガーの歌を日本語に訳した「腰まで泥まみれ」など、今も強烈なインパクトとメッセージを持つ歌の数々をここで聞くことができる。

 そういった歌が生まれた時代を、すでに今では想像するのさえも難しいだろう。とてつもなく激動していたのが60年代終わりだった。なにかがあれば数十万人の人々が集まって、デモや集会で『革命』が可能のように思えた時代。そして、それに共鳴したのが音楽であり、そこに僕らの歌があった。岡林信康の「友よ」(『わたしを断罪せよ』収録)や「私たちの望むものは」(『見るまえに跳べ』収録)がアンセムとなり、新宿西口で展開されたのが音楽を武器としたフォーク・ゲリラ。それがどれほど未熟だったと言われようとも、政治や社会的な動きに向き合う歌が数多く生まれ、どこかで産業の枠組みからしか生まれなかった歌謡曲とは違った、自分たちの歌の時代が始まったように見えていた。その渦中に10代の中川五郎がいたんだろう。

 が、同じアルバムのなかで今でも名曲として多くの人たちに知られているのが、赤裸々なライヴ・ソング「恋人よベッドのそばにおいで」。シンガー&ソングライター、エリック・アンダーソンが65年に発表したデビュー・アルバム『Today Is the Highway(トゥデイ・イズ・ザ・ハイウェイ)』に収録されている「Come To My Bedside, My Darling」を日本語で歌っているんだが、実は、筆者が最初に出会ったのは、どこかで政治的なラディカルさとは裏腹とも思えるこんな恋の歌を歌うフォーク・シンガーだった。

中川五郎ch 70年代初めから半ばにさしかかろうとしていたのがその時期に当たる。60年代終わりの激動は『革命』も『変革』も成し遂げることなく、どこかで多くの人が挫折の時代を生きていたように思う。多くのミュージシャンが内省的な歌を歌い始めたのはそれが理由だろう。実際のところ、『遅れてきた世代』の筆者も、あの当時、政治的な色彩を持つ彼の歌をライヴで聴いた記憶はほとんどない。今でも、記憶にへばりついているのは「自由というのは、失うものがなにもないことさ」というフレーズが大好きだった、彼の訳詞による名曲、「俺とボギー・マギー」。クリス・クリストファーソンが作り、ジャニス・ジョプリンが歌って大ヒットした曲だ。これが収録された『また恋をしてしまったぼく』や再発が待たれる『25年目のおっぱい』の時代こそが自分にとっての中川五郎だった。どこかで自分も内省していくしかなかったあの時代の空気に引き込まれていたのではないかと思う。

 それから10数年を経て、音楽評論家、訳詞家、そして、小説家でもある中川五郎と出会うことになる。なにやら奇妙な感覚だった。かつてステージ下から見ていた彼とライヴで出会い、音楽の話をする。正直言えば、時には彼が音楽家であることを忘れるようなこともあった。おそらく、あの頃は頻繁にライヴをやってはいなかったんだろうが、思い出したようにぽつりと開かれる彼のライヴを見に行ったこともあった。その時の記録はここここに残っているんだが、ここでも『闘う』歌を聴くことはなかったように思う。誤解しないでほしいんだが、彼が社会的な問題を扱った歌を歌っていなかったわけではない。が、『闘う』歌を感じたことはなかったのだ。

 そんな中川五郎がここ1〜2年だろうか、再び積極的に歌い出しているのに気付いていた。しかも、彼のツイッターをフォローしていると、なにやらコンスタントにツアーをしているように思えるほどなのだ。その彼が「辺野古で歌いたい」とつぶやいたのは、今回のピース・ミュージック・フェスタ!開催が発表された頃だっただろうか。

 それが嬉しくないはずがない。中川五郎は尊敬するフォーク・シンガーであり、執筆家であり、友人だと思っている。その彼が沖縄を目指すのだ。それも07年から取材を続けているピース・ミュージック・フェスタ!に出ることが第一の目的であり、高江も訪ねるという。言うまでもなく、地域住民を無視して、やんばるの自然を破壊する米軍ヘリポート建設が進められている場所で、ここでも辺野古同様に座り込みの抵抗運動が続けられている。その真っ只中に彼が入り込んでいこうとしているのだ。

中川五郎 ひょっとすると、これまで体験したことのない中川五郎を見られるのではないだろうか。あるいは、まだ生では聴いたことのない、ラディカルな歌、「腰まで泥まみれ」あたりを聞くことができるんだろうかと、すでにあのときから想像していたものだ。そんなつぶやきに彼は「昔、「俺はヤマトンチュ」という歌も書いてます」とレスを返してもくれていたのだが、その期待を遙かに超えて応えてくれたのが彼のライヴだった。

 あの日、ステージに立った彼が6弦バンジョーを手に最初に歌った曲で持って行かれてしまうのだ。

「横須賀でたったひとりで平和のために歌っていた友達のことを歌っています」

 と、そんな言葉で始まったのがその歌だった。「腰まで泥まみれ」でもなく、「俺はヤマトンチュ」でもなく、聴いたことのない歌。が、歌い始めから吸い込まれていく。歌われているのは無名のフォーク・シンガーのこと。が、そんなひとりひとりの動きが世界を変えていくんだと歌われる。歌にはチリのクーデターで虐殺されたヴィクトル・ハラやアメリカの公民権運動に火を付けるきっかけを作った女性(ローザ・パークス)が登場し、ウディ・ガスリーの名前も出てくる。それはこのフォーク・シンガーが中川五郎にとって彼らと同じような存在だったことを知らせてくれるし、同時に、ひとりの人間がどれだけ大きな力を秘めているかも伝えてくれるのだ。おそらく、それはこの日、辺野古の浜に集まったちっぽけな僕らひとりひとりに向けられていたんだろう。

中川五郎ch これは、これまで彼のライヴでは一度も聞いたことのなかった『闘う』歌だった。後追いのようにして知った60年代終わりの中川五郎が、今も変わらず目の前にいることを思い知らされていた。というよりは、おそらく、自分がそれに気付いていなかっただけなんだろう。今も昔も彼は同じところで歌い、闘い、悩み、恋をする素晴らしいアーティストなんだということを再確認するのだ。なにやら彼のアルバムのタイトル通り、この日、中川五郎に『また恋をしてしまったぼく』という結末を迎えるのだ。

 すでに中川五郎のマイスペースにアップされているのがこの歌、「1台のリヤカーで立ち向かう」。ぜひ聞いてもらいたいと思う。加えて、彼がこのシンガー、村松俊秀さんについて書いたブログを読めば、この歌がどうやって生まれたかを知ることができる。とるに足らないちっぽけな人間が起こした小さな波がもしれない。が、それが、文字通り波及しているのがわかる。ここで歌われているように、確かに「大きな世界を変えるのは、ひとりの小さな動きから」なのだということを肝に銘じていたいと思う。

 この日、彼が歌ったのはわずか3曲。この「1台のリヤカーで立ち向かう」に続いて、バンジョーからアコースティック・ギターに持ち替えて、どこかで聞いたことがあるなぁと思っていた歌が続く。ライヴの後、彼自身に尋ねたところ、フェアグランド・アトラクションのヴォーカルだったエディ・リーダーも歌っていた「What You Do With What You’ve Got(ワット・ユー・ドゥー・ウィズ・ワット・ユーヴ・ゴット)」のオリジナルの詩を独自に訳したもので、その後、ワイルドにロックする「ビッグ・スカイ」と続いていった。残念ながら、彼が「ドラマーはいませんか?」という声に応えるミュージシャンがいなかったのだが、迫力満点の彼がこのフェスティヴァルを通じて唯一、ステージから飛び降りるミュージシャンになるとは誰が想像できただろう。

 この日、この場所で演奏したことが彼自身にも大きな影響を与えたという話は、あれから幾度も耳にしている。もし、どこかで彼のライヴを見られるチャンスがあったら、ぜひ足を運んでいただきたいと思う。『辺野古後』の彼はどこかでなにかが違うはずだ。それはあの場所にいた僕らも同じこと。ちょうど彼があの歌で歌っていたように、「大きな世界を変えるのは、ひとりの小さな動きから」。それを見事に証明してくれたように思うのだ。

中川五郎

–>フォト・レポート or 三宅洋平

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