踊ろうマチルダ @ 東京キネマ倶楽部 2011.11.24

留まるべきか行くべきか…ドラマを生んだ葛藤
テキスト・レポート 「留まるべきか行くべきか…ドラマを生んだ葛藤」 @ 東京キネマ倶楽部 2011.11.24

踊ろうマチルダ
 名古屋の「得三」、梅田の「シャングリラ」に続いて、東名阪ライヴの最後を飾る東京は、鴬谷(うぐいすだに)にある「東京キネマ倶楽部」だった。元はキャバレーのホールであり、「キネマ」という古めかしい名前に相応しい「昭和」の香りがあった。

「なんか、ここって県民会館みたいやわー。そう思わん?」

 開演前、「踊ろうマチルダ」ことツルベノブヒロは、福井の訛りで、筆者に対してそう言った。どうやら、華やかなれどもどこかくすんだ「昭和」の飾りから、懐かしさを感じていたらしい。彼の唄の裏側には、常に途切れない故郷への想いが息づいている。ツルベの言葉は、「東京キネマ倶楽部」というハコそのものが、故郷とリンクしたことを物語っていた。

踊ろうマチルダ 客入れと共に、ドクター・イハラがアナログ・レコードを中心にスピンしだした。DJブースの脇にテーブルを用意し、「ギネス」の空き缶をずらりと並べていた。これは、マチルダの"ギネスの泡と共に"という曲を意識してのことだろう。ワンマンが決まったと知るなり、自ら事務所に売り込んでDJを志願したという彼なりの演出だった。イハラは、一定のペースで酒を口元に運び、たまにニヤニヤ、ずいぶんと楽しそうにスピンしていた。そして、ライヴが始まるやいなや、いちマチルダ・ファンと化した。

 ライヴは、テーマ曲の"踊ろうマチルダ"から始まった。まず響いてきたのは、ツルベのしゃがれ声ただひとつ。ステージの面構えはずいぶんと偉そうな感じだが、声が響いた瞬間を境に、その場に存在するものすべてが引き立て役に回った。

 "踊ろうマチルダ"は、メロディも歌詞もツルベによるオリジナルだが、その下敷きとなったのが、オーストラリアの旧い民謡、"ワルツィング・マチルダ"だ。「マチルダと共にワルツを踊る=荷物と揺られる=放浪をする」という物語を、彼なりの言葉で紡いだ楽曲だ。未だ音源化されていないテーマ曲は、感情や記憶を深く噛み締めるかのように唄われた。

 この曲を初めて聴いた時は、のっけから伴奏がついていた。いつの頃からかアカペラで始まるようになり、踊ろうマチルダの「孤独」をより強く響かせることとなった。そして、この日、大きく口を開けた舞台の上で、ぽつん、とツルベが歌っている状況は、そこにいるはずのあまたの人の存在を消していた。

踊ろうマチルダ ただひとつの声は、次第に熱を帯び、フロアへと広がっていった。やがて他の存在を引き込み、弓弾きのウッドベースとアコースティックギターに火を入れ、アコーディオンを小躍りさせた。楽器隊はそれぞれ一定の距離を保ち、呼吸を合わせ、しなやかに歩を進めていった。そして、その柔らかな伴奏は、ツルベの「しゃがれ声」をいっそう浮き彫りとしていた。フロアには整然と椅子が並べられているため、誰ひとりとして立ちあがりはしないものの、ほとんどの人がしっとりと濡れたような眼差しをステージへと向けていたところを見ると、「踊ろうマチルダ」が紡ぎだす世界に浸っているようだった。

 第1部を終えた幕間には、姉妹ユニット「チャラン・ポ・ランタン」が登場。踊ろうマチルダの本編から出ずっぱりの姉・小春のアコーディオンに乗せて、ブタを抱えた妹・ももちゃんが唄うユニットだ。簡潔に言えば、ヨーロッパ土着のコード進行を下敷きに、昭和歌謡のような歌声が乗るといった感じ。そのレパートリーに加えられた曲が、"ロシアンガールはもういない"だった。ミドルとスローのテンポを行ききする、「踊ろうマチルダ」が「釣部修宏」を名乗っていた頃の秀作で、今ではなかなか聴く事ができない曲だ。ツルベも慌ててギターを抱えて駆け込んできたが、久々とあって、キーを確認したりとモタモタしている。そこでのツルベは終始、苦笑いをしながら楽しんでいる様子だった。

踊ろうマチルダ 第2部の始まりは、ギターをアコーディオンに持ち替えての、"古き良きロマン"の弾き語りからだった。ツルベはスポットライトで照らされ、かつての社交場に、再び彼ひとりが浮かびあがっていた。そこから、ダブルベースの黒田元浩と、アコーディオンの小春が加わったインスト・ナンバー、"嵐の夜"へと続く。ギターをかき鳴らすツルベと、幾多のバンドのバックをつとめてきた黒田、新宿はゴールデン街での弾き語りで鍛えた小春のせめぎ合いは、念入りに編まれた「踊ろうマチルダ」の物語を、丸ごとひっくり返すかのような賑やかさで迫ってきた。激しさそのままに演奏されたのは、酒飲みの歌、"ギネスの泡と共に"…こちらもグラスを掲げ、共に乾杯がしたくなる。DJブースのドクター・イハラを見やれば、ここぞとばかりにギネスの缶を手に取り、完全に酔いしれていた。

 叫ぶように別れを唄う"ロンサムスイング"から、「俺の可愛い可愛いお姫さん、オイラと結婚してくれ」と唄われる、ド直球の結婚ソング、"マリッジイエロー"への流れは、歌詞に綴られた心情が正反対にもかかわらず、一貫して激しさで満たされていた。ツルベは、腕を強くギターへと振り下ろすたびにバランスを崩し、それでもなお、マイクを喰らうかのように咆哮していた。

踊ろうマチルダ この流れは、名古屋であれば即座にわやくちゃとなっていただろうし、大阪ならばこぞってグラスが掲げられたはずだ。しかしシャイといわれる東京、さらにつけ加えるなら、この日はライヴハウスでもカフェでもなく、空間を広くとったホールであり、さらに椅子があった。それぞれに「領域」があったように思う。歓声こそ湧き起これど、立ちあがるには申し訳なさが生まれる環境だった。もちろん、盛りあがっていないわけではなく、内にとどめている熱気というものは確かにあった。つつましく奇妙な連帯がある状況にて、最前列を見やれば、膝でリズムをとりながら揺れている者が多数。ある女性は、口もとを隠すように合わせた手の指先を鼻の頭にあてがい、その眼を潤ませていた。

 実のところ、キネマ倶楽部のお客さんは「最初から温まっていた」。皆、立ちあがりたいと思っていたのは間違いない。ただ、「1人目」になれないだけだった。

 あとは爆発のきっかけだが、ツルベ自身が煽ることはまず無い。この日も、

「今日は皆さん大人しいっすね、俺はこういうのも好きっすけどね」

…と笑うだけだった。そもそも彼は、土地のノリをそのまま受け止めて、地方ごとの「色の違い」を楽しむ性格だ。その一方で、盛りあがりを見れば、やはり彼自身のテンションもあがってくる。

 ハイライトのきっかけを作ったのは、ツルベの友人たちだった。アイリッシュ・パンク・バンドの「ジュニア」で活動しているゴー!はかつて、踊ろうマチルダのサポート・メンバーとして全国を回っていたため、お客さんのノリをステージから見ている。今もたまにライヴをする新百合ケ丘のバー「チット・チャット」の渕上零は、自身の店での盛りあがりを知っている。ドクター・イハラはと言えば、東京のクラブにて、音楽を浴びて嬉々とする人々を長年見続けている。そんな、釣部とフロアとを繋ぐ3人が、誰からともなく最前列に座ったオーディエンスの手を取り、ほんの少しだけ空気を揺さぶった。

 ただそれだけがきっかけとなり、会場に充満していた「騒ぎたい」気持ちは一気に弾けた。それはもう、あっという間の出来事だった。誰もが、膨らんだ風船に針が刺される時を待っていたのだ。

踊ろうマチルダ ひとりがステージ前にかぶりつけば、我もわれもと殺到し、指定席はすでに意味をなさなくなった。小春は満面の笑みで出迎え、普段はクールな黒田もわきあがる笑いを隠せなかった。ツルベの激しさはさらに増し、しゃがれ声は、「歌う」というレベルをとうに超えて、「吐き出す、絞り出す」ようなものとなった。そのままアンコールを駆け抜けたのだが、お客さんにしても、貯めこんでいたテンションが一気に解放されたためか、1回のアンコールではもの足りないとばかりに「踊ろうマチルダ」を呼び出し、この日2回目となる"ギネスの泡と共に"が演奏された。

 今度は、周りを気にせず肩を組み、揺れながらの大合唱。今まで何度もライヴを見て来たが、同じ曲を2回も演奏したのは記憶に無い。

 独特なしゃがれ声は、ツルベ曰く、「歌い込みでそうなった」らしいが、こちらからすれば、その成り立ちはどうであれ恵まれた声色だ。だが、それだけでここまで人を揺さぶることができるかどうかは、また別のことだ。

踊ろうマチルダ よくよく考えてみれば、彼の曲はほとんど日本語でできている。 "ゴーストソング"では「ゴースト」という言葉は出てこず、その代わりに「悪霊」がある。それも、「あくりょう」の響きが悪いからと、わざわざ「あくれい」に変えている。"マリッジイエロー"も、"ハートブレイクブルー"も、"ロンサムスイング"も、タイトルにカタカナ英語を使ってはいるが、歌詞中には一切出てこない。"ナンシー・ウイスキー"のサビ部分においては完全な英語だが、そもそもスコットランドの曲で、しかも、サビ以外にはわざわざ日本語の詩をつけている。"アイ・フォート・ザ・ロウ"のカバーも、最も有名なザ・クラッシュではなく、ましてやクリケッツやボビー・フラー・フォーでもなく、マーシー(真島昌利)の手による日本語詩がつけられたものだった。

 日本国内をくまなく行き来し、様々な方言を知ることを悦びとしているツルベにとって、「日本語で歌う」というのはごく自然の選択だ。言葉を大切にしているからこそ、こちらの内に入り込んで来るのだろう。出遅れはしたが、この日の最後のテンションにこそ、「踊ろうマチルダ」というアーティストの素晴らしさ、熱さが凝縮されていたように思う。

 音楽を創るにあたって、「言葉が先か、音が先か」という問答を耳にしたことがある。ツルベの場合は、そのどちらでもなく「映像」や「情景」ではないだろうかと、ふと思った。

踊ろうマチルダ

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