グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) in ピルトン・サマーセット (Pilton, Somerset) 2013.06.28 – 30

総論 – 人が創りし楽園
総論 – 「人が創りし楽園」グラストンバリー・フェスティヴァル 、ピルトン・サマーセット2013.06.28

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)

 誰にでも、行ってみたい国や場所があると思う。ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、ローマ、ミラノ、マドリード、バルセロナ、モスクワ… ヨーロッパの都市をあげるだけでも切りがない。ほかにもアジア、アメリカ、アフリカ、そしてオーストラリアだってある。正直言って、どこから行けばいいのかわからないし、すべてに足を運ぶなんて不可能だ。だけど、僕にとって絶対に行ってみたい場所がひとつだけある。それが、グラストンバリーだ。

 イングランド、サマーセット州にある小さな町、グラストンバリー。そこでは1970年から毎年、ミュージック・フェスティバルが開かれている。1500人からスタートしたこのコンサートは(元々は主催者のマイケル・イーヴィス氏が自分の農地で始めたプライベートなイベントであった)、その後、長い歴史を積み重ね大きく成長し、いまや世界最大の音楽フェスティバルとなった。そして、今では18万人以上もの人々が、一年の音楽シーンのハイライトを体験するために、会場となるイングランド南西部の農場を訪れている。僕はどうしても、このグラストンバリー・フェスティバルに行きたかった。

 それは何故か。その答えは単純明快で、フジロックのお手本となったフェスティバルだから。大学一年生のときに初めてフジロックに行き、その規模のデカさに圧倒され、野外で音楽を聴くことの素晴らしさ、自分の好きな音楽を誰かと共有できることの幸せを知った。それから365日、寝ても覚めてもフジロックのことばかり考えて生活していたら、いつのまにかフジロックのオフィシャル・ファンサイト『 fujirockers.org 』でライター活動をするようになっていた。どうしてこんなことになったのか冷静に考えてもよくわからないけれど、自信を持って言えるのは、フジロックに行ってから僕の人生は確実に変わったということ。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)フジロックのことを知れば知るほど、どこかでグラストンバリー・フェスティバルの名に出くわした。フジロックよりも何倍も大きい会場、世界最高とも言われるアーティストのラインナップ、40年を超えるフェスティバルの歴史…などなど、グラストンバリーのあれやこれを知るにつれて、是が非でも行きたいと思うようになっていた。だが、昨年は休催年(踏み荒らされた牧草の保護のため、およそ5、6年の間隔でお休みになる)だったため、行くことができなかった。そして、2年ぶりの開催が決まった今年、グラストンバリーに行きたいと編集長に無理を承知でお願いをし、この取材のメンバーに入れてもらった。

 そもそも、海外に行ったことがないのに、いきなり海外フェスティバルなんて大丈夫なんだろうかという不安はあったが、一度行くと決めたら前に進むしかない。自分で航空券を手配し、宿を取り、必要な道具を揃える。マッド・フェスティバル(泥のフェスティバル)としても名高いグラストンバリーは、気合いだけでなく準備も入念に行わなければならない。しかし、これと同じことをどこかでやったことがあるような…。そう、フジロックの準備と基本は同じである。知らず知らずのうちに、僕にもフジロックが謳っている「Do It Yourself」の精神が育っていたことがわかった嬉しい瞬間でもあった。

 無事、ロンドンまで到着し、数日間はひとりで観光をした。さすがと言うべきか、恐ろしいと言うべきか、ロンドンでもグラストンバリー・フェスティバルの名と出会うこととなった。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に『 デヴィッド・ボウイ・イズ 』を観に行ったときのこと。展示の最後にデヴィッド・ボウイのライヴ映像が流れる巨大なスクリーンが四方を取り囲むインスタレーションがあるんだけれど、そこで映し出されていたのは、グラストンバリーにデヴィッド・ボウイが出演したときのもの。溢れんばかりの人がピラミッド・ステージに詰めかけ「チェンジズ」を大合唱する映像を観て、鳥肌が立った。もしかしたら、それは武者震いだったかもしれない。イギリスにやって来た今でも、数日後に自分がそこに立ってる姿をイメージできなかったんだから。

 いよいよ迎えた、グラストンバリーへ出発の日。前日は気持ちが高ぶり、一睡もできなかったのは言うまでもない。ロンドンから車で三時間ほど走り、ユネスコの世界遺産に登録されているバースの街(温泉で著名)を目指す。さらに車を走らせると、のどかな原風景が眼前に広がる。澄んだ小川、緑の丘と羊、石造りの家並みがはやる気持ちを落ち着かせてくれる。そして、いよいよ見えてくるのが、グラストンバリーだ。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) 会場に到着し、一目散に目に飛び込んできたのは、辺り一面を覆い尽くすテント。広大な会場の遥か彼方まで、カラフルなテントがずらりと並んでいる。そして、地面に捨てられたゴミの量。まだ、前夜祭の前日であるにも関わらず、すさまじい量である…。ロンドン観光をしていたときにも感じたが、イギリス人は地下鉄の駅であろうと、バッキンガム宮殿の前であろうと、それがグラストンバリー・フェスティバルであろうと平気な顔でゴミをポイ捨てする。おそらく、彼らにとってゴミをポイ捨てする行為はごく当たり前なのだ。グラストンバリーのゴミの量がすごいのではなくて、本質的にはイギリス人のゴミに対する認識が酷いのだと思う。フェスティバルは良い意味でも悪い意味でも、そこにやってくる人の普段の生活をありのままに反映する鏡のような存在であるのかもしれない。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) テントを張り終え、会場散策もかねてピラミッド・ステージを見に行った。入場口でステージのてっぺん部分が見えていたので、そう遠くないだろう、グラストンバリーもたいしたことないな、なんて思って向かってみたけれど、かなり歩く。ずっとステージの一部分は見えているのに、本体が全然姿をみせない。15分ほど歩き(フジロックでいうと入場ゲートからホワイト・ステージくらい)、ようやく目の前にピラミッド・ステージが姿を現した。フェスティバルのシンボルとして、40年もの歴史を刻んできたステージである。そこまで大きくはないが、醸し出される雰囲気は独特のものがある。アーティストにとってもオーディエンスにとってもまさに「聖地」。荘厳な空気が辺り一面に漂っていた。

 今年はこのピラミッド・ステージにザ・ローリング・ストーンズが登場することが一番の話題となった。主催者のイーヴィス氏が「ストーンズに出てもらうためにほんとに長い間、待ったんだよ。バンドはちょうど50周年を祝ってて、うちのフェスでのステージも50周年記念の一環にもなるわけで、居合わせた人には最高のセッティングだよね。もちろん、主催者側のぼくたちにとってもこれほど楽しみなものはないよ」と語っているように、会場にはストーンズの有名なベロマークを身に着けたオーディエンスがたくさん詰めかけた。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)僕もストーンズを観られることがなによりも楽しみだったが、グラストンバリーの一番の魅力はアーティストのラインナップではない。たしかにアーティストのラインナップは世界最高峰だ。それをお目当てに、この地までやってくる価値は十分にある。だが、常にライヴ、ライヴ、ライヴでは息苦しい。それはおそらくライヴ・イベントであって、フェスティバルではない。フェスティバルの魅力は、「年に1度、3日でもいいから、仕事も忘れ、時間も忘れて、生きているということがどういうことなのかを感じる時間があってもいいじゃないか」とかつてジョー・ストラマーが言ったように、生きている実感をくれること。その言葉の通り、グラストンバリー・フェスティバルは生命の輝き、生命の悦び、生命の躍動感に満ち溢れていた。

  会場の総敷地面積は1000エーカー(1エーカーで畳2448枚)越え。東京ドーム何個分という例えをすることが逆に馬鹿馬鹿しく思えてくる大きさだ(自分にとって経験したことのないものだから、例えたくても例えようがないというか…)。その中に設置されたステージは、大きなものだけで12個。それ以外にも小規模なイベント、ゲリラ・イベントが夜通しあちらこちらで行われる。総出演者数はコメディアンやパフォーマー、素人の演奏家まで含め800組以上。気が遠くなるほどのスケールのデカさである。でも、ここで大切なのは、グラストンバリーでなにをするのかは全てあなた次第。「It’s up to you」なのだということ。このフェスティバルに、できないことなどなにもない。ライヴを観ても、自分で演奏しても、サーカスを観ても、大道芸を観ても、瞑想をしても、スケボーをしても、映画を観ても、何をしてもいいのだ。自由気ままに好きなことをする。この選択肢の幅がグラストンバリーを世界で最高のフェスティバルにしているのだと思う。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) 会場の奥地にあるストーン・サークルに足を踏み入れれば、誰もが「ラヴ&ピース」という言葉を思い浮かべるはずだ。会場を一望できる抜群のロケーションで、寝そべったり、風船を膨らましたり、仲間と語り合ったり。行き急ぐ現代人には想像もできない、とてもゆるやかな時間が流れている。そこにいる誰もが笑顔で、とても素敵な空間だった。

 ステージからステージに移動しているあいだも、さまざまなエンターテイメントが僕たちを魅了する。何処からともなく突然始まる演奏。英語がわからなくても楽しい大道芸。予測不可能な出来事が常に起こる。ステージ間の移動中に目移りをして観たかったライヴを見逃すとか、ステージがどこにあるのかわからなくてたどり着けないなんてザラにある。だけど、「まぁ、いっか」で済ませられるのは、このフェスティバルに流れるピースフルな「空気」ゆえ。商業スポンサーがまったく見えてこないことも、この「空気」をつくり出すのにおそらく影響しているのだろう。会場のどこに行ったとしても、企業の宣伝はない。お金では買えない、もっと大切なものを得るためにフェスティバルが行われているのだ。

 普段、身に付けている「常識」なんてものは、グラストンバリーでは邪魔でしかない。会場のデカさはもちろんのこと、バラエティにとんだ人、身の回りで起きるあれこれ、スペシャルゲストで出演するアーティストにいたるまで、奇想天外の連続である。アーティストの話をとってみても、リアム・ギャラガーが朝一で出演したり、デーモン・アルバーンがボビー・ウーマックのライヴに登場したり、トム・ヨークが奥地のシャングリラでDJをしたり…。さらにはイギリス王室の ヘンリー王子が夜通し遊んでいた なんて話もある(ストーンズを観にきたそう)。もちろん、これだけの実話があれば、噂もたくさんあった。ダフト・パンクがDJをするとか、デヴィッド・ボウイが出るとか。残念ながら、この二組のアーティストが姿を現すことはなかったけれど、ナイル・ロジャースのライヴではダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」の大合唱が起こったり、ノア・アンド・ザ・ホエールはダフト・パンクの「デジタル・ラヴ」を、スマッシング・パンプキンズはデヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」のカヴァーをして多くのオーディエンスを沸かせた。

 グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)音楽が好きなんだから当然ではあるが、僕たちはフェスティバルをみるとき、音楽という一部分だけに注目しがちだ。それゆえ、今年のグラストンバリーの総括をすれば、ストーンズがピラミッド・ステージで12万を超すオーディエンスを魅了した、なんてことになる。でも、グラストンバリーに行って、観て、聴いて、感じたのは、誰のどんな行為でも、フェスティバルのハイライトたりうるということ。すべての瞬間が、フェスティバルを最高のものにしている。

 今年からグラストンバリーもライヴのユーストリーム放送を開始したが、はっきり言って、そんなものを観てもグラストンバリーのことは何ひとつわからないだろう。あそこに行かないとわからない、グラストンバリーにしかない「何か」が確実にあるのだ。そして、その「何か」が人を大きく成長させると僕は思う。今では、グラストンバリーの魅力に取りつかれ、毎年のように足を運ぶ人の気持ちがわかる気がする。禁断の果実を食べたアダムとイブのように、グラストンバリー・フェスティバルを体験した人は、これほどまでに楽しい場所がこの世の中にあることを知っている。このエデンの園を知っているのに、そこに行かないなんて選択は決してできないだろう。

 幸運にもグラストンバリーに滞在した5日間、雨はほんの少ししか降らなかった。雨のグラストンバリーという本来の姿を体験することはできなかったが、世界最大級のフェスティバルの実態をほんのわずかでも知れたことは大変貴重な経験となった。初めてのグラストンバリーは未知との遭遇の連続であり、数々の愕きがあった。だが、それだけではなく、人間が人間であるために必要なエッセンスが、このフェスティバルにはやまほど詰まっていることも忘れてはならない。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)

イントロ – グラストンバリーフェスティヴァル2013

Share on Facebook

Information

Photos:
Hiroshi Maeda
hiroshi@smashingmag.com
Web Site / Facebook /twitter
Hiroshi Maeda's Works

Text:
Yasuaki Ogawa
yasuaki@smashingmag.net
Facebook / twitter
Yasuaki Ogawa's Works

Write a comment