グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) in ピルトン・サマーセット (Pilton, Somerset) 2015.06.23 – 28

汲めどもつきない祭の魅力はステージの向こうに
特集 – 「汲めどもつきない祭の魅力はステージの向こうに」 @ ピルトン、サマーセット 2013.06.28 – 30

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)

 まぶしい真夏の日差しを受けて輝く緑がアリーナを覆うピラミッド・ステージ前を散策したのは、グラストンバリー・フェスティアル(通称、グラスト)が開催される4〜5日前だった。さすがに人影は少ないのだが、それはステージ周りだけのこと。実は、この時点ですでに数千人のスタッフが『祭』の準備に追われて、会場の中を走り回っていた。

 関係者に話を聞くと、正確な数はよくわからないらしいのだが、数ヶ月前から会場に『住み着いて』作業をしている人たちも少なくないとか。そんな彼らがなにもなかった広大な土地に、ハリウッド映画のセットを思わせるような巨大な『街』を創っているといっていいだろう。会場の一角にはすでにパブやレストランが顔を見せ、スタッフがフライヤーを持って宣伝をしている光景に出くわすこともあるのだ。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) そんなバーのひとつ、メイシオズに入ってみる。メニューは充実していて、なにやらブラジルかどこかで飲んでいるような雰囲気を感じる。が、ここは野原のど真ん中。それがウソのような店作りに驚かされるのだ。国内のフェスティヴァルでよく見かける無機質なテントやプレハブとは比べものにならないだろう。しかも、壁に貼られているポスターに目をやると、DJのスケジュールが入っているのは6月17日から。会場がオープンするのは24日(水曜日)の朝だというのに、すでに『祭』が始まっているような錯覚に陥るのだ。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) それは仕事をしている人たちからもうかがえた。会場のそこかしこに用意されている石でできたベンチにカラフルなペイントを施していた一群の出で立ちを見ればわかるだろう。ボディ・ペインティングをしてみたり、奇妙な衣装を着込んでみたり… 彼らがすでに『創る時点』からフェスティヴァルを楽しんでいるのがよくわかる。さすがに、そんな格好で仕事をしている人はまばらなんだが、誰からも感じたのは何かを創造している人たち独特の幸せな表情だった。

 おそらく、そういった人々との出会いや体験が、ミュージシャンの演奏ではなく、フェスティヴァルそのものに再び目を向けさせることになったんだろう。そして、その魅力を再発見することになる。が、実を言えば、ここ数年、とてつもなく肥大化したグラストを取材してこんな言葉が幾度となく頭をよぎっていたのだ。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival)「もう潮時かな… 」
 
 初めてこの祭りを体験した1982年から30余年、まるで歴史の証人のように通い続けてきたのだが、そこまでやる価値があるのかどうか… 疑問に思い始めていたのだ。
 
 言うまでもないだろう、初体験は日本ではフェスティヴァルなんぞ夢の夢でしかなかった時代。鮮烈だった。会場に足を踏み入れるなり、目に映った光景は『ウッドストック』。サウンドトラックのジャケットが目の前に広がったように見えていた。しかも、どこかから聞こえてきたのはジミ・ヘンドリックスやサンタナ。まるであの時代にタイムスリップしたかのような錯覚を感じていたものだ。

 さらに会場を包み込んでいたエネルギーにも圧倒されていた。それを象徴していたのが霧に包まれた夕暮れの光景だ。まるでレーザー光線のような光の筋となる懐中電灯の明かりを、誰かがピラミッド型ステージの頂上に向けると、そこに重なったのが無数の光の帯。そして、そこに取り付けられていた巨大なピース・マーク(正確には、核廃絶運動、CDNのシンボル・マーク)が夜空にぽっかりと浮き上がっていた。

ジャクソン・ブラウン (Jackson Browne) ステージに姿を見せるアーティストにも同じものを感じていた。ヨーロッパ全土に限定核戦争の危機が迫っていたあの頃、収益を全てCNDに寄付すると謳っていたのがグラスト。ジャクソン・ブラウンがノーギャラで演奏し、出演者たちに「ギャラを寄付しよう」と訴えていたバンドもいた。後に音楽の力をまざまざと見せつけることとなった巨大イヴェントの発端がここにあったのだ。エチオピアの飢餓救済を目指したバンドエイドや南アフリカの人種隔離政策、アパルトヘイト廃絶を求めて獄中にいた指導者、ネルソン・マンデラ氏を讃えるライヴなどがそれにあたる。

 ピラミッド・ステージの他にはシネマ・テントぐらいしかなかった当時、会場の端々で見かけたのは、60年代に生まれたさまざまな運動が確実に根を張って成長している姿だった。循環エネルギーから動物実験や人権問題などを取り上げた数々のブースが顔を見せ、オーガニックな食品を提供する屋台もあれば、伝統的な工芸品のワークショップもあった。消費と浪費と貪欲さにまみれた現代社会に取って代わるオルタナティヴな世界がここに姿を見せていたといっていいだろう。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) が、表層を見る限り、そのほとんどが様変わりしたかのように見えていた。もちろん、長い年月を経て変化するのは当然だ。が、グラストがどこかで巨大で醜悪なビジネスになったのではないかという印象をぬぐうことはできなかった。フェンスに囲まれた会場のサイズは約900エーカー… といってもピンとこないのだが、計算によると東京ドームが約80個分の広さで、80年代と比較すると3倍以上。小さなステージも含めるとその数は約100あまりと、想像を絶するほどの規模になっているのだ。

 会場全てが巨大な壁に囲まれ、一定の距離を置いて作られているのは見張り台。なにやら監獄か収容所を思わせる、その内側が天国のような場所… で、いいんだろうか。しかも、大金持ちのために125,00ポンド、約250万円の宿泊スペースも作られている。2年前にザ・ローリング・ストーンズが演奏したとき、この場所にミック・ジャガーが泊まっていたらしいのだが、そこにオルタナティヴの片鱗も感じることはできない。また、4年契約でグラストの放映権を取ったBBCの関係者が締めるエリアの豪華さも噂になっていた。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) 一方で、メディアが伝えるのはビッグ・スターのライヴが主流で、世界中から集まったプレスがやっているのはストリーミングで世界に放映されているショーの追いかけに過ぎない。が、それはイギリスの片田舎に年に一度姿を現す巨大な街で生まれる驚異的なドラマのほんの一部なのだ。
 
 が、ステージを離れてぷらぷらと彷徨してみればいい。そこでわかるのだ。実は、この祭りを作っているのが、遊びを満喫する人々だということが。思い思いのコスチュームに決めて、遊び回る観客から無数のストリート・パフォーマーたち。ホラー映画から抜け出てきたようなゾンビーもどきが徘徊していると思えば、大きな三輪車にピアノを乗せて、ピンク色のケムリをパイプから吹き出しながら演奏している人がいる。

グラストンバリー・フェスティヴァル (Glastonbury Festival) また、夜ともなれば東京のラッシュアワー並の賑わいを見せる南西部は、それこそ異次元空間と言っていいだろう。不思議の国のアリスがマッドマックスと合体して… と、なにやら映画や漫画の世界に放り込まれtかのような感覚に陥るのだ。オールナイトでダンス・ミュージックが洪水のように流れ出てくるこの一角には政治的なメッセージをアートにした巨大な作品も展示され、それが違和感なくここに溶け込んでいるのが面白いのだ。

 もし、グラストに出かけることがあったら、なにはともあれ、一度、この一角にこの足を踏み込んでみればいい。おそらく抜け出せなくなるはずだ。もちろん、ライヴを否定するわけではないが、あの興奮とはまた違った新しい世界を体験することになる。かつて誰かがグラストはちょっと変わったディズニーランドと描いていたのだが、全てが誰かに作り込まれたそれよりは、ここに集まってきた無数の人たちが有機的に作り上げるワンダーランド、不思議の国というのが正しいように思える。

–>総集編フォト・レポート:オープニング・パーティ(花房浩一編)

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