マラヴォワ (Malavoi) @ アルハンブラ、パリ 2010.06.18

圧倒的存在感。マラヴォワ全盛期のヴォーカル、ラルフ・タマールに脱帽
テキスト・レポート – 「圧倒的存在感。マラヴォワ全盛期のヴォーカル、ラルフ・タマールに脱帽」 @ アルハンブラ、パリ 2010.06.18

Malavoi

 カリブ海に浮かぶフランスの海外県、日本で言えば、沖縄のようなニュアンスを感じさせる島のひとつにマルチニークがある。その島の至宝とも呼ばれる偉大なるアマチュア・バンド、マラヴォワと巡り会ったのは80年代の終わりだった。フランスを核にした周辺ヨーロッパと西アフリカが交錯した文化と人種の坩堝となる島の伝統的な音楽、ビギンやクリオール・ワルツにポーランドから伝わるマズルカなどをベースに、ジャズの要素も感じさせる彼らが結成されたのは1968年。大胆にストリングスを導入して、そのイメージを決定的にしたのが1972年と、彼らと出会った時点でほぼ20年の活動歴を誇るバンドだった。
 
Malavoi 日本に彼らが紹介されたのは88年ではなかったかと思うが、当時、銀座にある某大型レコード店でユーミンの新譜と同じぐらいの売り上げを記録することになったのが、名盤の誉れ高い『ジュ・ウヴェ』だった。さざ波のようなリズムにのって、まるで島の朝を思わせるようなイントロで始まるのが巻頭のタイトル・トラック。バンド・リーダー、ポロ・ロジーヌが見事なクルーナーで、島が眠りから覚めて息を吹き返していく様子を歌っているこの曲は20年以上を経た今もお気に入りで、休日の目覚めに聞くには最高の1曲だと思っている。
 
Malavoi 一方で、しばらく後に日本でも発表されたライヴ、『Au Zenith(オ・ゼニス)』で聞くことができるのは、たくましく分厚いリズムをバックに繰り広げられる豪快な演奏。ホーン・セクションも加えらて87年に録音されたこの作品こそが、おそらく、全盛期のマラヴォワだろう。その直後に、看板ヴォーカリストだったラルフ・タマールがバンドを離れて、『ジュ・ウヴェ』へと発展していくのだが、この名盤で唯一残念だったのが彼の不在だったことは言うまでもない。
 
 今では想像もできないのだが、この大所帯のバンドが来日したのが89年。ラルフ・タマールの後釜としてバンドに加わったピポ・ジェルトルードにトニー・シャスールを伴って圧倒的なパフォーマンスを繰り広げてくれたものだ。実は、このとき彼らの同行取材のために来日していたのが、ジャーナリストでヴォーカリストのマリ・ジョゼ・アリ。彼女がマラヴォワと録音して大ヒットとなった名曲、「カレッセ・モアン」を演奏してくれないかと期待していたのだが、それは実現していない。(なお、その曲はマラヴォワの『究極のベスト!』に収録されていて、マリ・ジョゼ・アリ本人の別ヴァージョンは彼女のアルバム、『Gaoule』で聞くことができる)
 
Malavoi メンバーが全て職を持ち、市役所や発電所に学校で仕事をしながら、バンド活動を続けていったところが、「偉大なるアマチュア・バンド」と呼ばれる所以なんだが、前述のラルフ脱退はプロとしての活動を彼が選択したことが理由だったと記憶している。そのマラヴォワのリーダーだったポロ・ロジーヌが癌で亡くなったのが93年。その前に録音されていたアルバム、『マティビ』が彼の遺作として日本でも発売されているんだが、それ以降、彼らの情報が日本に伝えられることはほとんどなくなっていった。
 
 マラヴォワの詳しい歴史はここでチェックできるのだが、それによるとポロ没後はストリング・セクションのジャン・ポール・ソイムを中心として活動を続けていたらしい。時には前述のラルフをヴォーカルに迎えて幾度かライヴをやっていたこともあったという。が、90年代終わりからはそれほど活発な動きはなかったようだ。なにせ、ポロの死後数年でヴァイオリンのマヌも亡くなっている。マラヴォワの核となっていたのがこのふたりなのだ。それも頷ける。
 
Malavoi が、かつてバンドの顔だったラルフ・タマールが中心となってマラヴォワが復活したという知らせとなったのが2007年に録音された2枚組ライヴ、『ラ・シガル2007』だった。実は、この年、オリジナル・メンバーのひとり、ジャン・ポールも他界しているんだが、ひょっとして彼を追悼する意味もあったのではないかと思う。が、これで終わらなかったのは翌08年にラルフ・タマール&マラヴォワのクレジットの下、ほぼ10年ぶりとなるスタジオ録音作、『ペップ・ラ』が登場したことでも想像できるだろう。そして、再び活動を活発化させたという知らせは、Facebookを通じて再会したラフル本人から伝えられることになるのだ。
 
 そんな彼から届いたのは、この日のライヴの知らせだった。たまたま、その前日の6月17日にパリの友人を訪ねることになっていた筆者は、当然のようにラルフにコンタクト。撮影許諾を得ることになる。
 
Malavoi 会場となったのはリパブリック広場からすぐのホール、アルハンブラ。それほど大きくはないんだが、2階バルコニーは座席付きで、1階はスタンディングと、ゼップ東京をこぢんまりとして、ちょっとクラシックな感じにしたような小屋だった。リハーサルの時に会場入りしてメンバーと簡単に挨拶をしたんだが、最後に顔を合わせて10数年ぶりだというのに、オリジナルのメンバーもマネージャーも筆者を覚えていてくれたことが実に嬉しい。
 
 以前のマラヴォワをご存知だったら、今回のライヴ写真の舞台下手から中央部で演奏するオリジナル・メンバーが目に入るだろう。キーボードのジョゼ・プリヴァ、確か、以前は発電所に勤めていたという記憶が残っているベースのジャン・マルク・アルビシ、ドラムスのデニ・ダンタン、パーカッションのニコル・ベルナールがいるのがわかる。残念ながら、ストリングス・セクションにオリジナルは皆無。上手のふたりの演奏がずば抜けて素晴らしいと感じたんだが、それは彼らがカリビアンをルーツとするミュージシャンだからではないだろうかと想像するんだが、定かではない。
 
Malavoi 正直言ってしまえば、ストリング・セクションの弱さはほぼ全盛期のマラヴォワを体験している身としては否定できない。女性のヴァイオリンとチェロはサポートで入っているという噂だし、華麗でいながらも分厚にスイングする以前のようなストリングスを感じることはできなかった。が、当然のようにリズム・セクションは変わらない。加えて、マラヴォワと知り合ったときにはすでにメンバーではなかったラルフ・タマールのヴォーカルがその穴埋めをしてあまりあるほどの存在感を出している。特に名曲、「ラ・フィロ」や「アメリア」など、で聞かせる艶は他の誰にも比較できないだろう。
 
 オーディエンスの年齢層は高く、カリブ系の人がほとんどだったようで、若い世代はあまり見かけることはなかった。いわば、オールド・スクールということなんだろうか。80年代終わりに一緒にマルチークへ取材に出かけたフランス写真家の子供達は、マラヴォワの名前さえ耳にしたことがないとのこと。それも時代の流れなのかもしれない。が、ほぼソールドアウトとなった会場のオーディエンスが満面の笑みを浮かべながら歌い、踊る様子からは、今もマルチニークの宝として輝き続けるマラヴォワの素晴らしさを感じることができた。
 
 残念ながら、今回彼らとインタヴューをすることはできなかったんだが、彼らによると全盛期のストリング・セクションで活躍していたヴァイオリンのクリスチャン・ドゥ・ネグリとチェロのジョン・ジョゼ・ラジエーは体調が芳しくないらしく、現在は全く音楽活動はしていないとのこと。これもまた残念な情報ではあるんだが、ラルフ・タマールと共に復活したマラヴォワが今後どういった展開をしていくのか、これからも見つめていきたい思う。
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